超高速で金持ちになる方法③~It's the only NEET thing to do

何もしなくても金が入るシステムを作る?

そんなシステム思いつかないよ、

というあなた。

諦めて今のバイトを続けて下さい。

それかセミナーに行って高額の情報商材を買わされて借金地獄になって下さい。


諦める人と、他力本願の人に未来はありません。


今回は私の子供の頃の事、

あまり面白い物語じゃないですがお話しましょう。


遡ること十数年前、中学を出た直後、15歳の頃のお話です。



くそったれ。

俺の最後の1000円はジャグラーに飲まれた。

海で6連して換金したらそのままやめときゃ良かったんだ。

恭介といるといつもこうだ。

金貸して。

「やだよ俺も負けたんだよ」

恭介は舌打ちしながら言った。

こうなるからパチンコ行きたくないって言ったんだ。

恭介、最後の1000円まで使っちゃえよ。

勝ったら貸してよ。

「やだよ明日の現場のめし代だよ」


海物語の時短が終わってしばらくすると、恭介の玉がなくなった。


恭介は最後に残した千円札を俺に見せてこう言った。

「俺ら2人の明日のめし代だけしか残ってねえよ」

人のことまで心配しやがって。

本当に恭介といるといつもこうだ。



俺と恭介はとなりの中学の同級生だ。

俺は小学五年から学校に行ってないから、恭介と出会ったのは隣町の団地だ。


恭介は夜間清掃のバイトをしていた。

日給1万円日払いのつまらない仕事だ。

後輩の親父のところで鳶をやった方がよっぽど給料がいい。

でも鳶をやって将来親方になりたいとは思わない。


大学なんて出るのはもっとしょうもない。

親戚の兄ちゃんは大学を出たけど工場で月給18万で働いている。

大学に出るのにいくらかかったか知らないが無駄銭だ。


俺もバカだけど、サラリーマンや土方になるくらいなら大金持ちになるか死んだ方がマシだ。

人生は一度しかない。

ビッグになってやる。


だがさっきのジャグラーでビッグは引けなかった。

明日こそはビッグになってやる。


明日は恭介の夜間清掃のバイトを手伝う予定だ。

掃除屋なんてやったことないし、

やりたくもないが、俺には作戦がある。

明後日は大久保のグランパでライター来店イベントがある。

ビッグを引いて、

俺と恭介の給料を5倍に増やす壮大なプランの、これはフェーズワンだ。


恭介の夜間清掃は、人手が足りないとスポットで入れる。


恭介の家でロクヨンスマブラをやって暇をつぶし、20時になると団地の下に集合した。


団地の下に掃除屋のハイエースが到着した。

やる気のないアンガールズの田中みたいなオッサンが班長だった。

髪もボサボサだ。


アンガールズは運転しながらパチンコの話ばっかりだ。

勝ったらピンサロに行くらしい。

お前が来たらピンサロ嬢もつらかろう。

同情していると、現場についた。


ポリッシャーという芝刈り機のような電動ブラシをハイエースから下ろすと、パチンコ屋に入った。

店を一周して掃除の段取りを考えていると、

店長らしき人物が書き物をしていた。

挨拶しに行こうと近づくと、はっとした。

健二くんじゃん!

店長は地元の友達の兄貴だった。


「おー田中、お前掃除屋のバイトか」

いや一日だけの手伝いだよ。

ってか健二くん店長なの?

「そうだよ」

若いのに店長とは大したもんだと思った。


パチンコ店は清掃業者に月うん百万払っているそうだ。

どうりで広いフロアがいつもピカピカなわけだ。

それなのにバイトは日当1万か。

だったら俺と恭介で掃除するから百万くれよ。

納得させるために言えないお金の話もしてみた。

「いいよ」

この店は店長がまあまあ自由に経費を扱える仕組みになっているようだった。

なんだか面白くなってきた。


大久保のパチンコで勝った俺たちは、恭介の掃除屋の倉庫から勝手にポリッシャーを借りて、恭介の親父のデリカに積み込み、健二くんのパチンコ屋の掃除に向かった。

俺と恭介と、中学の後輩2人の4人だ。

最初は無免許だった。

恭介はわくわくだ。

「ほんとに俺に月50万くれるの?」

当たり前だ。

健二くんのパチンコ屋以外にも、もう一店舗契約済みだ。

夜間清掃の契約の代わりにキックバックを渡すと言ったら簡単だった。

三百店舗くらい営業すれば、まだまだ契約は取れるだろう。


片っ端からパチンコ屋の店長と交渉するのはつらかったが、

口から勝手に言葉が出てくるようになると、営業がおもしろくてしょうがなくなった。


契約店舗が増えると、後輩の中学生たちに日当八千円やって現場に出した。

大学生に小遣いをやって運転もさせた。


遊ぶ金が欲しかったはずなのに、

気づいたら仕事の方が楽しくなっていた。


廃品回収を始めたのは18の頃、

営業の会社を作ったのは20の時だ。

貴金属の買取で多少ご飯が食べられた。


それも2年以内に切り上げて、本格的に個人間融資を始めたのは10年前だ。


来年からまた違うことを始める。