ある日のメンヘラの話~個人間融資家とソープ嬢の自殺旅行③

華厳滝に行くにはいろは坂を登る必要がある。

ものすごいカーブの連続だ。

彩音はよく事故にならないものだと思った。

自分の死に場所に近づいていく悲しさと恐怖がつのっていった。


「この道です、康平たちと単車で走ったのは。

ここで健二ってやつが野グソしたんですよ。やばいでしょ。」

彩音の耳には田中の声はほとんど入っていなかった。


それでね、と言って田中は坂の途中で急に車を止めた。

降りてください、と言われて彩音も田中と一緒に車から降りた。

見てください、と田中の指す方向には、まだ新しい花束があった。


「ここで康平が事故って死んだんです。」


彩音ははっとして田中の方に振り向くと、

田中の顔にいつもの笑顔は無かった。

田中は涙を流していた。


時が止まったようだった。

田中は遠い目をして、ここにいない親友を想っていた。


彩音さん、この花は康平の彼女が先月の命日に届けたものです。

もう結婚して子供もいるのに、

あれから15年も経ってるのに、

付き合って3ヶ月で死んだのに、

忘れないんですよね。


彩音も涙が止まらなかった。


下を向いて泣いている彩音の顔を覗き込んだ田中は、

笑顔に戻っていた。


彩音はその場に崩れた。


私は誰かとご飯を食べて楽しいと思える。

当たり前の幸せを感じられるんだ。

康平という男はもうなにも感じる事さえできない。

彼女に謝ることもできない。


「死のうとしてごめんなさい...

彩音の嗚咽混じりの声は、辛うじて言葉になった。


彩音さんは売り掛け返したいんでしょ?」


はい、と彩音が答えた。


田中は続けた。

「優しいから自分が犠牲になって死のうとするんです。

このままだと、彩音さんの優しい気持ちを誰も理解しないまま終わりますよ?」


いやだ。

みんなに最低の女だと思われたくない。

でも自分がした事の代償だ。

彩音は黙って下を向いた。


携帯貸してください。

僕が彩音さんの代わりにホストにLINEしますよ。

死ぬ気だったんだからいいでしょ?


はい、と彩音が答えると、

田中は彩音の携帯を横取りした。


「大丈夫。

過去は消えなくても、やり直せますよ。」

そう言うと田中は、

彩音の携帯を操作してホストのLINEをブロック解除し、

メッセージを送った。


「未収のお金、会って渡せないから振り込むね

口座番号教えて

トラブルがあって分割になる。

ごめんなさい」


送りましたよ?

もう一通送りますね。

「出稼ぎで稼いだ金は家に張り込んでた金融屋に全部取られた。」


全部送りました。

逃げなきゃ全てやり直せますよ。


「はい」

彩音は崩れたまま泣きながら返事した。

最初からこうすれば良かった。

どうせ二店舗合計150万、

約束通り払えるはずが無かった。


できない約束を重ねるたびに

未来の嘘が増えていく

最後は全部壊れるんだってわかると

消えてしまいたくなる


田中は崩れた彩音の手を握って、

ゆっくり起こした。


「大丈夫。

素直な気持ちがあれば、

誰かが彩音さんの味方になってくれますよ。」

田中はやっぱり笑顔だった。

「帰りましょ。」


私決めた。

もう一回出稼ぎ行って、

次は2人のホストに毎日3万円ずつ

払おう。

保証6万ならなんとか払える。

ちゃんと担当に電話して全部話そう。

もう嘘は終わりだ。




1ヶ月後、売り掛けを完済した彩音に担当ホストから電話が来た。


彩音、俺気づかなかったよ。

彩音が俺の電話出なかったあの時、

つらい思いしてたんだな。」


何の事か彩音が聞くと、担当はすごい事を話し始めた。


担当の携帯に知らない番号から電話が来て、

金融屋の田中と名乗り、担当の知らない事実を次々と話してきたという。


ホストの電話に出なかったのと同じ時期に、彩音に金を貸していたこと

きつい取り立てをしていたこと

車に乗せて日光の山に連れて行って死なそうとしたこと

死ぬ間際に彩音が『ホストの売り掛けだけはちゃんと払いたい』と言ったこと

その言葉に田中は真っ直ぐな気持ちを感じて、もう一度車に乗せて家に帰したこと


話を聞いて電話を切った後、

びっくりして言葉が出なかったそうだ。


担当は

「毎日3万円ずつしか返せなかった事、文句言ってごめんな。

山にさらわれるくらい怖い思いしたら、電話も出れなくなるよな。

怖くて逃げたいのに、頑張って返してくれたんだな。」

と優しく言った。


なんかずいぶん勘違いしているけど、

何も言わないでおこう。

田中は嘘は言ってないが、

伝わり方がすごかった。


ちゃんと最後まで返して良かった。

1ヶ月かかったけど、

何も残らなかったけど、

失っていた大切な物を取り戻した気がした。


ソープはやめた。

田中の友達が経営している銀座のラウンジに面接に行くことにした。


銀座で働くのは初めてだ。

歌舞伎町ではたくさん失敗してきた。

この街で一から自分を磨いて、

後悔のないように真っ直ぐ生きていきたい。


面接まで3時間あるのに、彩音は早めに化粧を始めた。


窓の外、遥か空の彼方には雨上がりの虹が掛かっていた。


~終~